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打ち明け話〜工房修業時代〜
関東地方も先日、入梅しましたね。気が付けば、今年も梅雨の季節となりました。 先のブログで、次回に向けての個展に掲げるテーマを綴っておりましたらふと・・・・。 私の修業時代の打ち明け話を綴りたくなりました。 ![]() 下積み時代となる歳月の間には、やり切れない想いも多く抱え、沢山涙も流しました。 少し前に記述した事もありますが、自分の名前や簡単な漢字、数字すらもが筆記出来なければ、頭に浮かんでも来なくなってしまったのも、この頃の事です。^^; 今となっては、そういう鍛え方があったからこそ、現在の私が在るのですから感謝の気持ちでおりますが、当時はそんな余裕すらも感じる事は出来ない日々でした。 私の修業は、ほぼ毎日。朝から晩までガラス三昧の日々でした。 自宅に、やり終えなかった作業を持ち込み、それこそ寝る暇も無いと云う日々で、風呂上がりに寝巻きに着替えてもガラス。朝起きて、寝ぼけ眼の寝巻き姿でガラス。といった感じでした。 当時の自宅は、引越しダンボールも放置されたまま。日常生活に必要なものだけを漁って日々を送る・・・積み上げられたダンボール屋敷に不便を感じる余裕も無いい・・・。と云ったそんな毎日でした。 工房では、容赦ない厳しい言葉での指導でした。その当時、先生は先輩方とは、世間話なども交わし談笑しているのですが、私への仕込み方は、それこそスパルタでしたね。 質問するのも怖く、声を掛けるタイミングも難しく、何度も言葉を飲み込む事もありましたが、ガラスに対する情熱を支えに、怯む事はあっても自身を励ましつつ先輩達と交わす会話の合間を見計らって、なんとか・・・。(・・;) 私の場合は、ガラスカットの際などは、ガラスに書いたカット線を先生に見せて無駄や無理が無いかのチェックを受け、許可を貰わなくてはカット出来無い事から始まりました。端っこで、余りガラスを使い何度も何度も直線、曲線、S字カット、鏡カット等々、カットだけの練習も沢山しました。 思い返せば幾度、本気で飛び出したくなったか知れません。多少、対応に矛盾を抱えながらも、その当時、とにかくこちらも必死です。長〜い、泣き言を綴った手紙を出そうと想った時もありました。(笑) ![]() 初期の頃。一度、こういう事がありましたっけ。 その日は、ハンダ付け制作をする予定だったので、前夜遅くまで掛かって、ハンダ作業の準備を整えておりました。この日に行う作業では、ガラスカットの際に使用した型紙は必要ないと判断した私は、自宅に型紙を置いたまま出ておりました。 朝、ハンダ作業をする為に、ガラスを並べておりましたら、予定していた型紙よりも少し小さくなってしまったガラスピース部がある為、隙間が出来ていたんです。 その状態を先生に打ち明け、完成時の意向なども含め色々相談致しました所、ガラスの取り直しをする事に決めたのですが、その日に限って肝心の型紙を自宅に置いて来ていたものですから、それを知ると大怒り。 「何しに来たんだ!とっとと帰れ!!」となってしまいました。(>_<) 結局は、原寸で型紙を興し、ガラスの取り直しを行って一件落着となりましたが、さすがにこの時ばかりは唖然とし、売り言葉に買い言葉で、こちらもとっとと帰りたくなりました。家の玄関を開けて、荷物を降ろしながら涙が溢れて止まらない・・・そんな日々の繰り返しでした。 資材や道具も、工房に置いて来てもいいのですが、当時の私は持ち帰って自宅でも作業をやる為、運ぶ荷物は、さながら登山部の如し。^^;ずっしりと重い荷物を背負って通っていました。 背中にガラス資材や作業道具など、重みに引きずられている様な荷物を背負い自宅に帰ると腰は痛いし、足は重いしで・・・。帰路は石の塊の様な重みに感じて身体はガチガチ。 先輩方の中には、転がしタイプのケースで運ばれる方もいらっしゃいましたが、私はどうしても道路面でガタガタと転がしてガラスを運ぶ事に抵抗があり、背中全面が覆われる程の大きなリュックに全て収め、背負って運んでおりましたから、当然身体にも負担は掛かります。 余談ですが、鉛線組みの制作作業に必要となるケイム資材を釣竿のすっぽり入る筒に入れてそれを背中に背負って歩き、何度か電車に乗り込んだ事もありましたっけ。この様子に、当時の先輩方は、まるで砲弾を背負っているみたい。とも表現していましたっけ。(笑) とにかくこの当時は、作業場に気を赦せる相手も居ないので精神的にもよれよれでした。 先生の、しっかり覚え込ませ様としてくれているのは分かるのですが、一番キツく感じたのは、他の方々との対応の違いかなぁ。なんせ叩き込まれましたからね。 スパルタ時代の当時は、他の方には笑顔でも私には容赦無しで、言葉はキツイし、知らん顔を決め込むし、自分で調べる事も多くあったものです。その当時の私との対応のシーンでは、他の先輩方も知らぬ顔を決め込んでいましたね。(笑) とにかく技術の習得には何度も何度も、やって体得して行くしか無いので、めげずに頑張りましたよ!そういう時の人間って不思議なものです。出来るだけ、学び易い環境を自分で作ろうとして、どんな自分なら先生と相性良く対応出来るのか等、自分の接し方も色々変えていました。 作業中は、自分の制作をしながらも、耳はいつも「ダンボ」状態。特に、先輩方に技術面での話をしている時などは、聞き漏らすまいと自分の作業は中断して、先生の傍にまっしぐら。すかさずメモを取り捲りました。終業時間を過ぎても、良く質問していましたっけ。 そんなかんだの月日が流れ、数年たったある日。 ![]() これは以前、少し記載しておりますが、車の免許更新の為、自分の住所や生年月日、氏名を記載しようと想ったら、文字が思い出せないんです。 これにはさすがにびっくり、内心かなりパニックです! 時間も迫って来るので動揺もし始める私は、色々な掲示板などの活字を読んだり、数字を見たりする事で、少しずつ活字を想いだし、どうにかこうにか記載を済ませ無事に免許は更新されました。 私は一時期、北海道での暮らしの際にも経験している事なのですが、人間は活字や言語は日頃から使っていないと、どんどん減って話そうとしても語彙を忘れて行くものなのだなぁ。と苦い思いをした事があるのですが、この出来事には、かなり大きな衝撃となりました。 現在は、そんな事があったとは想像もし難い程、長ったらしい文章を書いてたりする訳ですが、こんな経験は二度はしたくないものです。(笑)・・・が、今でも制作方面ばかりの頭や感覚を使っている時は、言葉を綴ると云う事が一苦労!となる時もあります。これもある意味バランス具合なのかもしれませんね。^^; 話が逸れましたが、こうした辛い下積み時代の有ったお陰で、現在の私が在り、先生には、沢山の技術や応用、強度等の観点等々、柔軟な考えをも教え込んで頂きました。お陰様で私の大事な基盤となっております。そして先生には、人としての大切な面をも教えて頂いたと想っております。 この場を借りまして御礼申し上げます。 本日の内容は、Stained Glass制作課程の一面ともなりますでしょうか。 打ち明け話と称しまして、想い出話を綴っておりますが、この様な一面も私の経験談としまして、お読み頂けましたら光栄です。 又、書かせて頂いた私の学舎も、通常は私の経験した様な待遇は全くせず、温和で丁寧な指導をしておりますし、長年に渡って通われている方も多くいらっしゃいます。まず私の様な事は無いので、安心して下さい。(●^_^●) 私自身も先日、他の土地のステンドグラスの先生とのご縁を頂き、とても朗かなそのお人柄に感激も致しました。この先生とは、ガラスが好きな者同士、同じ視点を好む同志と云う感じで、交流させて頂きました事に深く感謝しております。 ![]() では、本日の最後になりますが、私を指導して下さった先生には、重ね重ね本当に感謝しております。くれぐれも御身体にお気をつけてお過ごし下さい。有難うございます。 seira-mio 1
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